土曜日、清水寺を始め5~6の神社仏閣を巡ってきました。
それはそれで楽しい1日ではありましたが、清水寺の秘仏3体を見た後、考え込んでしまいました。
清水寺の秘仏は、ご本尊の「千手観音」が中央に、右側には北方の守護者「毘沙門天」が、そして左側には「地蔵菩薩(いわゆるお地蔵さん)」が奉られています。
私、最初この地蔵菩薩を、「広目天」か「持国天」かと思っていましたが、実は「地蔵菩薩」だと分かって相当なショックを受けました。
なぜか。
あまりにもイメージと違っていたからです。
お地蔵さんのイメージって、坊主頭で、顔は穏やかな表情(時には笑みを浮かべ)で、袈裟衣を着て、手には錫杖を持っている――こんな感じですよね。
清水寺の「地蔵菩薩」はまるで違ってました。
頭には兜をかぶり、体は鎧を着込み、剣を手にしたまさに臨戦態勢で、き然と立っていました。
こんな格好なのに顔は穏やかな表情なため、かえって迫力を感じ、「これがお地蔵さんかよ……」と思わずつぶやいてしまいました。
以来、他の寺を巡りながらも清水寺の「地蔵菩薩」が頭を離れず、しばらく考え込んでしまったのです。
(ここからは、私の妄想が多分に入ってます)
親よりも先に死ぬという親不孝を行ったために、賽の河原で鬼にいじめられている子供達を救うという、最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩である地蔵菩薩がなぜ甲冑を身にまとっているのか――、私はそこに、坂上田村麻呂の苦悩を感じずにはいられせん。
清水寺はそもそも、平安時代初頭、坂上田村麻呂が建立した寺と(元々あった寺を田村麻呂が大きく改築したとも)されています。
坂上田村麻呂は、奈良時代末期から平安時代初期にかけて活躍した武将で、奈良時代末期に東北地方で起こった蝦夷の乱を征夷大将軍として鎮圧したことで知られています。
しかし、この蝦夷の乱も、東北で金が算出されたことから東北の完全支配を目論んだ(当時の東北は半独立国家でした)朝廷の侵略行為に対して、蝦夷が自分たちの暮らしを守るために決起した行為であり、かかる火の粉を振り払おうとしただけに過ぎないのです(この辺の事情は、高橋克彦の小説「火怨」に詳しい)。
そして田村麻呂は、初めからこの侵略が無益で無意味な行為であると、反対の立場をとっていたのです。
誰よりも蝦夷との共存を望み、誰よりも侵略の愚かさを感じていた田村麻呂。
しかし田村麻呂は、父祖以来の軍人の家に生まれ、当時最高・最強の武将でもあったのです。
命じられれば、(それが愚かな行為であると分かっていても)戦わざるを得ない。
そして、望まぬ戦を行い、勝ったとはいえ(敵味方含めて)多くの命を奪ったという呵責の念が、田村麻呂をしてこの異様な地蔵菩薩を安置した理由なのではないか――私にはそう思えてならないのです。
ちなみに、この乱で蝦夷側の中心人物であったのがアテルイとモレで、この二人の慰霊碑が清水寺の片隅に立ってます(昨年の11月「本当の理由」参照)。
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